序章3.人類の誕生

ヒトは生物分類上霊長目ヒト科に属するのだが、ヒト、チンパンジー、ゴリラが同じヒト科に属すること、または類人猿との関係で、霊長目−真猿亜目−ヒト上科−ヒト科−ヒト亜科という分類を設けている。類人猿は生物学的分類名称ではないが、オランウータン科・テナガザル科を含む、分類学的にはヒト上科に一致する霊長類の通称として用いられる。ヒト科のヒト(亜科)とチンパンジー・ゴリラ(亜科)を分けるものは、完全に直立二足歩行しているかどうかだ。

最初期の人類(ヒト亜科)は「猿人」と言われ、脳容積は類人猿と同程度(約500ml)、尾がなく直立二足歩行をしていた。石器はほとんど作っていないと考えられている。1924年南アフリカのタウングでレイモンド・ダートによって最初に発見され、アウストラロピテクス・アフリカヌス(南のサル)と命名された。その後、南アフリカを中心にこの種の猿人の化石が次々と発見された。東アフリカ大地溝帯のタンザニア・オルドヴァイ渓谷では、1959年ルイス・リーキーが頭骨を発見ジンジャントロプス・ボイセイと命名した。以後大地溝帯を中心に発見が盛んになり、大地溝帯こそ人類発祥の地だとされるようになった。現在アウストラロピテクス属は、古いものからアナメンシス−アファレンシス(300万年前)−アフリカヌス−パラントロプス(ボイセイはここに位置する)と言われる。アナメンシスは1995年ミーブ・リーキーらによって発見され、約420〜390万年前のものとされた。1974年エチオピア・アワッシュ川下流域ハダール遺跡では、ほぼ完全なアファレンシスの女性の骨格が発見され、この個体は「ルーシー」の愛称を付された。また2000年にはエチオピア北東部でアファレンシスの女児の全身化石が発見された。こちらの愛称は「ルーシーの赤ちゃん」。なお、パラントロプスは別種の属という見方もある。

*2001年仏ミッシェル・ブルネのグループによりサハラ砂漠南端チャドの砂漠(昔のチャド湖周辺)で発見された化石は、約700万年前のものと推定され、トゥーマイ猿人と名付けられた(学名サヘラントロプス・チャデンシス)。これまで人類は東アフリカ大地溝帯を最古の起源とする説が有力だったが、この発見でくつがえされる可能性が出てきた。脳容積は350mlとチンパンジー並みと小さく、頭骨の特徴はゴリラの祖先に近く、人類の化石ではないとの反論もある。

*2000年ケニアとフランスの合同チームがケニア北西部バリンゴで発見した化石は、ミレニアム・アンセスター(学名オローリン・ツゲネンシス)と名付けられた。約600万年前のものと推定されているが、人類化石ではないとの反論が強い。

*1992年カリフォルニア大学のティム・ホワイト、東京大学の諏訪元らによってエチオピアで発見された化石はラミダス猿人(学名アルディピテクス・ラミダス)と名付けられ、約440万年前のものと推定されるが、直立二足歩行に疑問が残されている。また、2001年カリフォルニア大学のヨハネス・ハイレセラシエがエチオピアで発見した化石は約580〜520万年前のものとされ、ガダパ猿人(学名アルディピテクス・ガダバ)と名付けられた。この二種は同属異種に分類されている。

またルイス・リーキーは1964年に発見した化石にホモ・ハビリス(器用な人)と命名、これは最初のヒト(ホモ)属とされ、約200〜160万年前に生息していたと推定される。一方、エチオピア・ゴナ川遺跡からは最古の石器(礫石器、石をうち砕いただけのもの)が大量に発見されており、製作年代は260〜250万年前までさかのぼることがわかっている。その使用者はヒト属、またはアウストラロピテクス・パラントロプスという候補が考えられる。

約180万年前にはハビリスよりさらに脳容量が大きいホモ・エレクトス(原人)が登場する。脳容積1000mlと大きく、おそらく肉食と、頭を使うことにより脳が大きくなった。アフリカで約100万年間存続し、ハンドアックスという高度な石器を製作した。火を使用、完全な直立二足歩行となり、約100万年前アフリカ大陸の外へと移動した。その後各地で独自の道を歩んだ。1891年ウジェーヌ・デュボワがジャワ島で発見したのが最初で、ピテカントロプス・エレクトス(ジャワ原人)と名付けた。これは19世紀後半ドイツの生物学者ヘッケルが、東南アジア方面で人類の進化が起こった事を主張し、この説を信じたデュボワが軍医となってインドネシアに渡って発掘を行なった結果だった。現在ではホモ・エレクトス・エレクトスと改名されている。続いて中国北京・周口店で1929年発見された化石は、結果的に合計十数人分の原人の骨が発掘され、当初シナントロプス・ペキネンシスと命名され、現在ではホモ・エレクトス・ペキネンシスと改名されている。アフリカでは1948年ロバート・ブルームらが南アフリカ・スワートクランズで発見したのが始め。

ホモ・エレクトスの子孫には、現代人ホモ・サピエンス、ホモ・ネアンデルターレンシス、ホモ・フローレシエンシスが知られる。

ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)は約20万年前に出現し、2万数千年前に絶滅した。現世人類(ホモ・サピエンス)に最も近く、両者は長い間共存していたと考えられる。過去には旧人と言われたこともあったが、ホモ・サピエンスの先祖ではないことが分かっている。1856年ドイツ・デュッセルドルフ郊外・ネアンデル谷の洞窟で発見され、ホモ・ネアンデルターレンシスと名付けられた。その後ヨーロッパ各地で発見されるようになり、イスラエルやイラクでも発見されている。旧石器時代に属し、ルヴァロワ技法と呼ばれる剥片製作技法で石器を作り、埋葬の習慣があったことが知られている。

ホモ・フローレシエンシスは2003年インドネシア・フローレス島で発見された。約1万年前まで生息しており、愛称がホビット(こびと)と言うように、身長は1メートル余りと非常に小さいが、火や高度な石器を使用していた。ジャワ原人の子孫とされ、身長が小さいのは島嶼(トウショ)効果により、孤立した島での大型動物の矮小化によるものとされる。現地にはエブ・ゴゴという小さく毛深い洞窟人の伝説があり、はては近年まで目撃話もあったという。

現世人類(ホモ・サピエンス)はホモ・エレクトスの子孫といわれる。1868年南フランスで発見されたクロマニヨン人はホモ・サピエンスに属する。ホモ・サピエンスは約20万年前に出現、世界各地で並行的に進化したという説(多地域進化説)とアフリカ単一起源説(出アフリカ説)が対立する。ミトコンドリアDNAを用いた最近の研究によってアフリカ単一起源説が有力となりつつある。出アフリカ説によれば約7〜6万年前アフリカから外に移住し始めたが、出アフリカの回数が1回だったか、複数回だったかは議論が分かれる。複数回説では第一派がいわゆるアフリカの角からアラビア半島に渡り東南アジアとオセアニア方面に移住、第二波はシナイ半島を経てアジアにたどり着き、結果的にユーラシア大陸の人口の大半の祖先となった。一方ミトコンドリアDNA研究はただ一度だけの出アフリカがアフリカ以外の全人類の起源となった可能性を示唆している。石刃技法という、ひとつの原石から細長い薄手の剥片を次々に打ち出す石器製作技術を生み出した。動物の骨や牙に彫刻し、岩刻画・岩絵などの芸術活動を行った。

ホモ・サピエンスの拡大

ミトコンドリアDNAは母親から伝わり、その塩基配列から全世界で約80タイプが知られる。元々は単一の母親から出発したと考えられ、数百世代に1回の割合で突然変異が起きるという。単一の出アフリカ説はミトコンドリアDNA研究によるものだ。約20万年前アフリカで生まれたホモ・サピエンス・ミトコンドリアDNAの世界への拡大を大まかにいうと、約7〜6万年前「L3」がアフリカから紅海、アラビア半島南部沿いにインドに渡り、ここで「N」「M」「R」などの新型タイプが生まれた。約5万年前には東南アジアに進出、この中から「B」「F」の新型が生まれ、そのままオーストラリアまで進出した。東南アジアから中国方面に進出して、新しく生まれたのが「D」タイプ。一方インドから中近東経由でヨーロッパに向かったものから「U」タイプが生まれた。また中近東からシペリア経由でバイカル湖周辺に向かった先で「A」タイプが生まれた。これらは大まかな類型の発生を示したもので、実際には一つの移動集団には多数のタイプが含まれる。特に約4〜3万年前に人類大拡散が起こり、ヨーロッパ、シペリア、南北アメリカなど世界中に人類が広まった。シペリアからベーリング海峡をわたった人々はわずか1千年の間に南アメリカ南端に達した。最も進出が遅れたのが太平洋の島々で、ごく最近の3千年ほど前モンゴロイドが海を渡り、ハワイ、ニュージーランド、ポリネシアの島々に移住していった。

わが国には人類大拡散の時期に、東南アジアから「B」「F」、中国から「D」、北方から「A」が進出したと考えられる。日本人の構成は「D4」が最も多く約30%(中国北部・朝鮮・モンゴルに多い)、次いで「B4」の約10%(東南アジア、中国南部に多い)、次いでM7a,A,G,D5,F,M7b,B5,N9aなどが数%ずつ、その他は少なくC,M7c,M8a,M10,N9b,Zの全部で16タイプある。この中で「M7a」という日本固有のタイプもあり、この「M7」派生型の類型は中国、東南アジアに存在する。また、この日本固有の「M7a」は縄文人にあって、弥生人にはないことが知られている。ここで、縄文人や弥生人が現日本人とどう関わるかというのが問題となるが、日本人の基盤は縄文人で、縄文時代末期の紀元前5世紀頃、大陸・朝鮮半島から弥生人が進出、混血したものと考えられる。ちなみに弥生人にある「M9a」というタイプは縄文人にはない。住斉(スミ ヒトシ)のミトコンドリアDNA分布研究(先の縄文系と弥生系それぞれが独自に持つとみられる2つの型M7a、M9aに着目、構成比を求めたもの)によれば、現在縄文人タイプが多い地域として東北・南九州・沖縄・飛騨をあげている(2008)。

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