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5.古代インド

 インド亜大陸は、今日の国構成ではインド、パキスタン、バングラデシュ、ネパール、ブータン、スリランカ(セイロン島)から成るが、歴史的には大きく北インドと南インドに区分することができ、さらに北インドはインダス川流域とガンジス川流域に、南インドは北部のデカン高原と南端部に分けることができる。
 亜大陸全体の面積は日本の約12倍、ロシアを除いたヨーロッパの面積にほぼ等しい。古来インド亜大陸には統一王朝はマウリア朝を除いてほとんど無く、大・中・小の国が並び立った。

インダス文明

 インダス文明は1921年(英領インド帝国時代)、考古調査局のインド人考古学者サハニによりパンジャーブ地方(現パキスタン北部)のハラッパーにおいて都市遺跡が発見され、翌年同じ調査局のインド人バネルジーによりモヘンジョ・ダロが発見されて、インダス文明(又はハラッパー文明)と名付けられた。前2300年頃興ったこの都市文明は、インダス川流域に広範囲に存在している。
 モヘンジョ・ダロは一定の計画に基づいて建設され、大浴場(沐浴場)、穀物倉、集会堂が作られ、住宅は焼きレンガ造り、道路の多くも焼きレンガで舗装され、住宅には浴室・給排水設備が備わっていた。
 遺跡からは多数の印章が出土しており、解読には至っていないが、言語はドラヴィダ系らしいことが分かっている。宗教は原ヒンドゥー教ともいうべきものが信仰されていたようだ。都市には有力者はいたらしいが、強力な王権の存在を証明するようなものはない。
 ハラッパーの遺跡は、発見前に焼きレンガが鉄道敷設用の砂利代わりに大量に使用されてしまって、保存状態が悪い。しかし規模はモヘンジョ・ダロと同程度、構造も共通している。

 インダス文明の諸都市は前1800年頃から衰退を始め、2〜3百年の間に消滅してしまった。インドの考古学者ウィーラーはこれをアーリヤ人の侵入によって滅ぼされたと考えた。しかしその後この見解には疑問が出され始め、現在なおその消滅原因は不明なものの、都市は徐々に衰退したのだと考えられている。

アーリア人

 アーリア人はカスピ海とアラル海の北側の中央アジアから、前1500年頃ヒンドゥークシュ山脈を越えてインダス川流域に入った。また前後して同じアーリア人が、中央アジアからイランに侵入、そのためインドのヴェーダ聖典とゾロアスターのアヴェスター聖典との間には、共通する神々が多い。
 インドに移動したアーリア人の歴史は、神々への讃歌を集めた「リグ・ヴェーダ」から伺い知ることができる。アーリア人は農耕に従事する先住民、すなわちインダス文明衰退後の文化を担った人々をダーサと呼び、ダーサがブルと呼ばれる城塞に立てこもったので、軍神のインドラが多くのブルを破壊したと讃える。またダーサを黒い肌の者と呼び、「色」を意味するヴァルナという語が、身分・階級の意味を持つようになった。しかし一方でアーリア人はダーサと混血を重ねた。

 *ここでダーサと呼ばれる者はドラヴィダ系先住民で、現在でも南インドにはドラヴィダ系のタミル人などが住む。
 *リグ・ヴェーダが讃歌を捧げるのは主として雷神・軍神のインドラ、火神アグニ、暴風神ルドラ(のちシヴァ神と同一視される)など。これらの神々は後仏教にも取り込まれていった。帝釈天(インドラ神)、弁財天(サラスヴァティー)、吉祥天(ラクシュミー、ヴィシュヌ神の妃で美と幸福の女神)、毘沙門天(クベーラ、財富神)、閻魔大王(ヤマ)、金比羅(クンピーラ・竜神)等々。ちなみに天はサンスクリット語で「デーヴァ」(神)を意味する。

 その後アーリア人の一部は前1000年頃、ガンジス川流域へ移動を開始した。それからの400年間にバラモン教の聖典(後期ヴェーダ文献とも言う)が編まれると共に、4つのヴァルナが形成された。ヴァルナはバラモン(司祭)、クシャトリヤ(王侯・武士)、ヴァイシャ(一般部族民)、シュードラ(隷属的な先住民)だ。バラモンはベーダ(聖典)を独占し、儀礼を複雑化させた。さらに後期ヴェーダ時代の終わり頃、排泄、死などにかかわる職業に従事していた人々がチャンダーラ(不可触民)の地位に落とされ、第5のヴァルナとみなされるに至った。ヴァルナ制度は前200年〜後200年頃「マヌ法典」として完成、さらに6、7c頃から複雑に発達するカースト制度の基本的枠組みとして機能することになり、現代まで存続する。

*カースト制度はヴァルナを基本的な枠組みとし、これに職業を加えた出自の集団で、現在2000〜3000に及ぶカーストが存在するという。

 後期ヴェーダ文献を代表するのは二大叙事詩「マハーバーラタ」と「ラーマーヤナ」だ。叙事詩「マハーバーラタ」は、デリー北方の平原で戦われた天下分け目の大戦争をテーマにしているが、実際には前9c頃のアーリア人の有力部族バラタ族内部で行われた小規模な戦闘だった。叙事詩「ラーマーヤナ」は、コーサラ国の王子ラーマを主人公とし、妻をさらった羅刹王を追ってスリランカに攻め入り、妻を救出して都に戻り即位するという話だ。二大叙事詩にうたわれた両国の他、当時の北インドには部族的な中小の国々が点在していた。

ウバニシャッド哲学

 後期ヴェーダ時代の後半、バラモン教の形式重視の祭祀万能主義を批判し、内面的な思索を重視する思想家が現れてきた。彼らが発達させた哲学は、後期ヴェーダ文献の一つ「ウバニシャッド」の中にまとめられているためウバニシャッド哲学と呼ばれる。
 ウバニシャッド哲学の担い手はバラモンとクシャトリヤだった。彼らは目に見える世界の背後に存在する絶対的な原理、万物がそこから生まれ、最後にそこに帰るような原理をブラフマン(梵)と呼んだ。また人間の根本に存在する原理、自我の根本原理をアートマン(我)と呼んだ。彼らはまたこのブラフマンとアートマンの両原理が究極的に同一であると知覚するところに真理があると言い、これを梵我一如と呼ぶ。この真理を知覚することによって、絶対的自由「解脱」が得られるのだという。インド人の死生観の根本である業・輪廻思想もウバニシャッド哲学に依るものだ。

 ウバニシャッド哲学は、バラモン教に対抗する二つの宗教、仏教(創始者ブッダ、本名ゴータマ・シッダールタ、前566〜486年頃)とジャイナ教(創始者ジナ、本名ヴァルダマーナ、前549〜477頃)を誕生させた。

マガダ国

 アーリア人の都市国家の中からコーサラ、マガダ両国が有力となり、前500年頃ガンジス川南岸のマガダ国がビンビサーラ、アジャータシャトル(在位BC494〜462頃)父子によって急速に力をつけた。アジャータシャトルは父王ビンビサーラを幽閉死させて即位、西隣のコーサラ国などを併合してガンジス中下流域の覇者となった。その後、彼の子の代に首都となったパータリプトラは、古代インドの政治・経済・文化の中心として長く栄えた。